2012年6月27日水曜日

2012.06.23 Nishikokubunji Izumi Hall Gospel Live SR 41RP-2 STAFF REPORT

2012.06.23 Nishikokubunji Izumi Hall Gospel Live SR 41RP-2 STAFF REPORT

今回、特に強く次につなげたいと思ったことは、
PAの視点
2年生の動き方
③動くべきときに動く
3点です。

PAの視点
PAの位置は、ステージをよく見渡せる位置にある、ということ。
音の責任者であるPAは、ステージ上で起きていることに敏感に気づかねばならない。
トラブルだけでなく、ミュージシャンの要望もいつとんでくるかわからない(だから視線は常にミュージシャン、つまりステージに向けられている)。そしてときにステージ袖に控える音響スタッフと連絡をとりつつ、それに出来うる限り迅速に対処しなければならない。
卓の横についている間は、その緊張感に圧倒されていました。

Mixingをしているときに、ときどき視線を上空に上げてらっしゃるときがありました。なぜだろうと思って、一緒にやってみたところ、おどろくほど音が客観的に聞こえました。
視覚にとらわれない音とはこんなにも聞こえ方が違うのかと、その違いに驚きました。
一方で、生の音楽に身をゆだねてノリながらMixingしているときももちろんあり、ミュージシャンの持ち味、会場の特性、お客様の雰囲気を理解しつつ、やはり自分が純粋にいい、と思えるその音を信じることも大事なことなのかもしれないと思いました。

2年生の動き方
今回初めて2年生の先輩と現場に参加させていただきました。
2年生の動きひとつひとつが勉強になりましたが、通じて言えるのは「必要とされているときに、確実に動いている」ということです。
インプットチェック中など手が少しでもあいたとき、ステージ上ではケーブルをきれいにしたり、進行表には、リハでの進行のなかでわかった細かい情報を、簡潔に書き込んでいたり、また事前に入った情報(今回はM2を後方へ動かすかもしれないという情報)から、その準備をしたり、モニターの位置を変えたあとは、モニターの聞こえぐあいを最後に確認する、などとにかく常にアンテナをはり、気付き、先回りして行動していた。
早くあのような動き方ができるようになりたい、という明確な目標ができました。

③動くべきときに動く
動くべきときに、動くことができなかった。
リハ中、ステージ上でMic Standを調整しているのは見てわかっていたのに、自分が行くまでもないか・・・という、非常に無責任な気持ちが生まれてしまっていました。意識が低すぎました。結果、そのままステージをじっと見つめながら、その場にとどまっていました。
その直後、富さんに一喝入れられ、遅すぎましたが、それでやっと目が覚めました。
ステージに向かっていくタイミング、スピード(瞬発力)、見る力、変化に気づく力、必要とされていることに気づく力、そのときに対応する力。
すべてが欠けていました。私はステージを見ているようで、まったく見ていなかったことに気づかされました。
言われるまで、行ったほうがいいのだろうか、と思うタイミングがたくさんあったのに、体が動かなかった。本当に悔しかった。
「あっ」と思ったら、その気づきを大事にして、二の足を踏まないこと、走りきること。
しかし、状況によっては、ステージに上がってはいけないタイミングもあるため状況を見極める必要もある。
でも、今回動かなければならない場面が確実にあった。
途中からリハに参加されたPerの方への対応や、Saxの方がリハ中に音響スタッフのほうを見て、モニターに指をさし、なにかを訴えるサインを出したときの対応。
前者は、Perの方がまずステージにあがっていらして位置に着いたらやらねばならないことは考えて想像すれば明白で、まずはしっかりと挨拶、そしてマイキング、モニター位置の調整。後者は、そのとき、何を要望しているのかすぐ駆け寄り、直接聞いて、対応する必要がある。
このスピード感が、ミュージシャンと音響の信頼関係を生むのだと、強く感じた。
このとき、ミュージシャンの身になって考える視点も大事。
ミュージシャンは今こうしてほしいのだろう、そして次はきっとこうしてほしいだろう、というこの先回りの考え方も非常に大事だと感じました。


以上です。今回も参加させていただき、本当にありがとうございました。これからずっと体に覚えさせておかねばならない根源的なことを叩き込まれました。
今後も宜しくお願い致します。

ここから、富の追記・解説になります。
「③動くべきときに動く」について。
わたしが、放送局勤務時代に大事な仕事としてこんな仕事がありました。
「緊急報道」です。
災害・事故・事件など、突発的に報道の必要があった時に、幾つかの仕事があります。
特に中継車を使用して行う生中継・素材伝送などは、一秒一刻を争います。
それは人命がかかっているからなのです。
「誘拐」などは、報道協定(警察及び報道関係者の守秘義務)がありますが、災害等については、その限りではなく、必要な情報を視聴者に届けるためには、各局競争といいながらも、放送人の使命として皆やっているわけです。

ある上司の部長とデスククラスの先輩の話です。
部長「中継をすべき内容であっても、中継車を出すということは、すごく重い」
「なぜなら、一回中継車を動かすのに皆さんから頂いた財源から、その人件費諸経費がでるからである」
デスク「でも、我々はその初動が遅れることによって、視聴者が不利益になってしまうことや、人命に関わることがまずいのです。
放送に関わる人間であれば、誰しもこう思っていますよ。
もし、中継車を出動して、現場に向かい、電波を確保して(放送できる状態にして)、万全な対応をしていても、事件が解決してくれたほうがいいのです、無駄になってもいい」
「台風中継や気象に関することであれば、我々が仕事が無かったほうが(事件や被害が)いいのです」

これをいつも思い出します。
そう、誰かがやるだろうでもなく、気づいて無駄になることなんてないし、私が放送から学んだことはこういうことなのです。

長くなりましたが、ある意味「無駄になってもいい」でも、「無駄なことなんてない」
何より、その音がその場から無くなってしまう前に、その音が聞ける場所に行く事が大切だ。

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