2014.07.18 名もなきミュージシャン
今日はブログっぽく、日記っぽく書いてみようかと。
タイトルは『いまは名もなきミュージシャン、いつか名もなきミュージシャン』
レッスンが終わり帰宅。
1年越しで取りかかっているのだが、CDの整理をしている。
学生時代から書いためたもの、今度録音するであろう演奏家の研究のためのもの、演奏家から好みを知る為に自費で買ったもの、師匠からいただいたもの、余り多くの人の耳に届くことのない音源達。
ケースそのままではおさまりきらないので、不織布にCDとジャケットをいれて、Pケースは廃棄する。
いろんな音源を手に取って、時には脱線して聞き入ってしまう。
『いまこの人はお空の上に』『いまのこの人は少し隣の分野でがんばっている』『いまでもこの人は唄い続けている』
齢も重ねて、いろいろなことを考える。
M-AQUAのコンセプトはこうだ。
いまは名もなきミュージシャンだけれど、やがて多くの人に出会い、多くの楽曲や唄を送り出す人達のお手伝いをすること。
華々しい階段を駆け上るのか、険しく長い道をこつこつと歩くのか、演奏の手を止めても、出会った時のそのひとのこと、ずっと忘れないはず。
せっかく放送局にいたとか、演劇のものすごい大師匠がいたとか、音楽以外の芸術や、映画やテレビ等、わたし自身の欲張りな性格から、よくぞこの道だけを選べたなと今振り返ります。
この11年M-AQUAと平行してやっていることもそう。
多くの演奏家は音楽を一生辞めない。
毎日演奏することがなくても、そのグルーヴは必ずその演奏家の一生の中でずっと刻んでいるし、奏でているはず。
売れるとか売れないとか、続けるとか続けないとか関係なくて、わたしにとって、出会ったミュージシャンは一生ミュージシャンなのだ。
だから、いつか名もなきミュージシャンになっても、ずっと支えることが出来ればいい。
先だって、Dreamers Union ChoirのメンバーmomiさんのCD Mix Downが完了しました。
ご期待ください!
画像は1998年 M-AQUAを始めた頃の相棒、音声中継車です。
今日はブログっぽく、日記っぽく書いてみようかと。
タイトルは『いまは名もなきミュージシャン、いつか名もなきミュージシャン』
レッスンが終わり帰宅。
1年越しで取りかかっているのだが、CDの整理をしている。
学生時代から書いためたもの、今度録音するであろう演奏家の研究のためのもの、演奏家から好みを知る為に自費で買ったもの、師匠からいただいたもの、余り多くの人の耳に届くことのない音源達。
ケースそのままではおさまりきらないので、不織布にCDとジャケットをいれて、Pケースは廃棄する。
いろんな音源を手に取って、時には脱線して聞き入ってしまう。
『いまこの人はお空の上に』『いまのこの人は少し隣の分野でがんばっている』『いまでもこの人は唄い続けている』
齢も重ねて、いろいろなことを考える。
M-AQUAのコンセプトはこうだ。
いまは名もなきミュージシャンだけれど、やがて多くの人に出会い、多くの楽曲や唄を送り出す人達のお手伝いをすること。
華々しい階段を駆け上るのか、険しく長い道をこつこつと歩くのか、演奏の手を止めても、出会った時のそのひとのこと、ずっと忘れないはず。
せっかく放送局にいたとか、演劇のものすごい大師匠がいたとか、音楽以外の芸術や、映画やテレビ等、わたし自身の欲張りな性格から、よくぞこの道だけを選べたなと今振り返ります。
この11年M-AQUAと平行してやっていることもそう。
多くの演奏家は音楽を一生辞めない。
毎日演奏することがなくても、そのグルーヴは必ずその演奏家の一生の中でずっと刻んでいるし、奏でているはず。
売れるとか売れないとか、続けるとか続けないとか関係なくて、わたしにとって、出会ったミュージシャンは一生ミュージシャンなのだ。
だから、いつか名もなきミュージシャンになっても、ずっと支えることが出来ればいい。
先だって、Dreamers Union ChoirのメンバーmomiさんのCD Mix Downが完了しました。
ご期待ください!
画像は1998年 M-AQUAを始めた頃の相棒、音声中継車です。
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